2137年、大規模な太陽フレアによって出現した高密度のプラズマ雲が、黄道面を境に太陽系の南半分を覆いつくし、地球も南半球が壊滅、17億もの人命が失われる被害を受ける。このフレアは「ゲドゥルト・フェノメーン」、プラズマ雲は「ゲドゥルトの海」と名付けられた。
2225年、地球の衛星軌道にあった航宙士養成所リーベ・デルタは、何者かの襲撃によって制御不能になり、ゲドゥルトの海へ突入してしまう。しかしその時、リーベ・デルタ内部に隠されていた外洋型航宙可潜艦「黒のリヴァイアス」が起動した。
教官たちは全員殉職し、リヴァイアスに避難できたのは少年少女ばかり487人。なぜか彼らは、自分たちを救助してくれるはずの軌道保安庁から攻撃を受け、戸惑い、混乱しつつもこれと戦い続ける。閉鎖された極限状態にある艦内では、艦の指揮権や物資の配給を巡って、少年少女同士が陰惨な争いを繰り広げながら、火星圏から土星圏、天王星圏へと当てのない逃避行を続けていく
Tiktokとで出したのと少し変えて投稿します。
『無限のリヴァイアス』という作品を語る時、まず触れなければならないのは、本作が単なる“宇宙漂流SF”では終わっていないという点でしょう。
一見すると本作は、『十五少年漂流記』や『蝿の王』を下敷きにした閉鎖空間サバイバル群像劇です。実際、極限状態に置かれた少年少女たちが秩序を失い、暴力・疑心暗鬼・権力闘争へ飲み込まれていく構図は、古典的な極限状況シミュレーションの系譜に強く連なっています。
しかし、本作が本当に恐ろしいのは、“人間の本性”そのものではなく、「社会」が自然発生してしまうことにあります。
誰かが権力を握れば情報統制が始まり、物資不足は経済格差を生み、暴力は秩序維持のための装置へ変質していく。さらにその内部では、既得権益を守ろうとする者、権力へ擦り寄る者、空気へ同調する者が現れ始める。
つまり本作で描かれているのは、単なる人格崩壊ではありません。閉鎖空間の中で、現実社会そのものが縮小再生産されていく過程なのです。
特に印象的なのは、本作が「政治とは暴力装置である」という極めて冷徹な事実を、少年少女たちだけの世界で成立させてしまった点でしょう。
銃による威圧。
ポイント制による配給管理。
情報統制による世論誘導。
武力を背景にした政権維持。
それらは未成熟な子供たちの暴走というより、“社会構造そのものの本質”として描かれていました。
だからこそ本作は痛々しい。
視聴者はキャラクターたちを単純に「愚かだ」と切り捨てることができません。むしろ、誰もが「あの空間で自分ならどう振る舞うか」を突きつけられる。
権力へ従うのか。
傍観者になるのか。
迎合するのか。
それとも孤立を選ぶのか。
本作の不快感とは、暴力描写の激しさではなく、「自分もまた空気に飲まれる側の人間かもしれない」という現実を可視化されることによって生まれているのだと思います。
そして本作が優れているのは、その“嫌悪感”を単なるショック演出として消費していない点です。
暴力は暴力を再生産し、
恐怖は支配構造を強化し、
革命ですら新たな抑圧へ変質していく。
本作はそれを徹底して描き続ける。
だからこそ、主人公が最終的に“暴力による解決”へ到達しなかったことに大きな意味があるのでしょう。
普通なら、極限状態を描く物語は「力ある主人公」が秩序を取り戻して終わります。しかし本作は違う。誰一人として世界を救えない。万能の英雄など存在しない。
その代わり本作は、“狂気に対して理性を向け続けること”に、わずかな希望を託していたように思えます。
終盤、本作は決して世界そのものを救いません。彼らは自力で社会を変革したわけでもない。状況は多くの問題を残したまま終わっていく。
しかしそれでも、極限状態の中で傷付き、迷い、他者を傷つけながらも、ほんの少しだけ他人を理解しようと変化していく姿がある。
その“ささやかな成長”こそ、本作が最後まで人間を見捨てなかった証なのだと思います。
また、本作はSF作品としても非常に完成度が高い。
ヴァイタル・ガーダーを中心としたSF設定は、必要以上の理論説明へ走ることなく、閉鎖空間に漂う緊張感と孤立感を成立させるために機能していました。宇宙空間における静寂の演出も印象的で、“無音”そのものが恐怖として機能している。
さらに、谷口悟朗監督らしい群像演出も見事でした。
本作は登場人物が非常に多いにもかかわらず、一人ひとりが単なる記号に終わらない。特にルクスンの成長は象徴的でしょう。
多くのキャラクターが恐怖によって歪み、壊れていく中で、彼だけは“責任”によって成熟していく。あの閉鎖空間の中でも、人は負の方向にだけ変化するわけではない。その事実が、本作を単なる人間不信作品で終わらせなかった。
だからこそ、本作は非常に疲れる作品です。
見ていて苦しい。
息苦しい。
人間の醜さが痛いほど突き刺さる。
しかし同時に、それでもなお他者と繋がろうとする人間の姿が、ほんの僅かに希望として残されている。
『無限のリヴァイアス』とは、暴力と不信に満ちた極限状況の中で、「社会の中で人はどう生きるべきか」を問い続けた作品だったのだと思います。
最高以外の言葉が必要かね?
名作
子供たちの心が追い詰められていく描写がとても上手い。
メインキャラたちの個々の心理をめいっぱい描いていて、単なるキャラ付けではない登場人物それぞれの人間性を痛いほど感じ取ることが出来る。
鬱アニメなんて呼ばれることもあるようだけど、ストーリーもしっかりとまとめ上げていたし終わった後は本当に見て良かったと思っている。
めちゃくちゃ面白かった。
登場人物の心理描写が丁寧で感情移入できる。
ここまで究極の群像劇は見たことない。極限の状態におかれた人間はどうなるのか、多感な時期で未熟な子供を通じて表現していた。
ゆっくり、子どもたちが崩壊するところは、話数がたくさんあるからこそできた描き。
カタカナが多く置いていかれる感じは、仕方ない。ある意味潔い。くそ風呂敷を広げておきながら、最後の二話(というか最後の10分まで)で風呂敷をまとめ上げるところはさすがだった。
髪をちょっと伸ばした葵可愛すぎワロタ。
ストーリー展開が悪趣味で見ててしんどい。
打ち切りみたいな終わり方でカタルシスもない。
作品としてのクォリティは一定以上のレベルを維持してるので好きな人は好きだろうけど、個人的には合わなかった。