ある日、ちいかわとハチワレが広場でくつろいでいると、突如として顔にチラシを貼り付けたうさぎがやって来る。
ハチワレがそのチラシを確認すると、それは「特別な島へご招待」と書かれた招待状であった。
チラシに記載された魅力的な言葉に釣られ、島合宿に行くことを決めたちいかわたち。
チラシの内容を怪しがるラッコとともに乗船し、島に上陸したちいかわ一同は島民から大歓迎で迎えられる。
楽しい時間を過ごしていたちいかわたちだが、
島に住む巨大な“セイレーン”が島民を次々と連れ去っているという事実を聞かされ、
セイレーンの討伐計画に巻き込まれていく。
ひたむきに進むちいかわたちに次々と訪れる試練。みんなで乗り越えられるのか…!?
そして島に隠された本当の“ひみつ”とは…!?。
ちいかわコンテンツは一切未履修
ただ、この映画に関して、知っている人と知らない人の間に生じる受け取り方の差は伝え聞いていたので、本映画はちいかわコンテンツに対して、事前にどのような認識を持った上で鑑賞したのかが感想を左右すると思っていたのだけど…
想像していたより、ニュートラルな作品だなというのが第一印象。勿論、そこには本作のコメディをシュールとかカワイイとか、そのように思ったりはするのだけど良い意味で本作は自然体だなと感じられましたよ
本作のストーリーラインって報酬に釣られたちいかわ達が島にやってきて、島民の困り事に巻き込まれていくという筋書きなのだけど、ちいかわ達ってセイレーンから言及されるように徹底してただの「観光客」に過ぎないんだよね。セイレーンと島民の対立において何ら利害関係を持たない。敢えて言えば先に助けを求めてきたのが島民であり、島民の歓待を受けていたから彼らに協力したというだけで積極的にセイレーンを許せない理由を持っていたわけではない
一応、セイレーンが島民を食べているとの許し難い背景はあるものの、その行為だって先に人魚が食べられたとの情報に接していたちいかわ達にとって、どちらが明確に“正しい”と断ぜられるだけの何かは持たない
だからか、ちいかわ達は流されるように行動している。島民と一緒にセイレーンに対抗して、友達が攫われたから助けようとして、セイレーンに島民が襲われないようにカレーを作って…
良くも悪くもちいかわ達は島民の方向性を変える何かは持たないし、セイレーンを抑えられる何かも無い。彼らの行動は自然の流れに沿っている
そう捉えると、問題の根源として存在する要素も自然の流れによるものだったのかも知れない
島に一方的に棲み着いたセイレーンは恐ろしく、またご馳走を求める厄介な存在だったのは事実。反面、セイレーンの唄は作物を豊かにさせる。島はセイレーンの恩恵を受けていた
その様は制御出来ない神威的な自然現象と人間が持ちつ持たれつの関係を気付いている在り方を想起させる
だから自然が崩れるとしたら、相手へ不用意に深く踏み込んでしまった瞬間で
自然現象と接していれば命を落としてしまう事だってある。それを仕方ないと流せば、それ以上の何かなんて発生しない。けど、あのヒトハは踏み込んでしまったわけだ、禁忌へと
そうなればセイレーンが怒り報復するのは当然。けれど、ここで更に誤りとなるのは自分達が犯人であると名乗り出なかった点。そうして本当に罪の無い島民達が攫われ、島民達はセイレーンを邪悪な存在としてちいかわ達に討伐させる事になるのだから
セイレーンと島民達の間には自然的な流れがある。共生している内は良い。けど、自然の領域に踏み込んでしまった時、自然は牙を剥く
その際に因果の整理を行えば事態はすぐに自然的なものへと回帰するかもしれない。隠し続ければ不自然が際立つ。結局はセイレーンという存在の討伐へと乗り出すしかなくなる
なら、隠さない事こそ自然的、正しかったのかというとそうでもないのが一種の難しさか。そもそも問題はフタバが命の危機を迎え、ヒトハが助ける決断をした時に全ては終わっていた。以降の判断なんて全ては蛇足
その意味ではちいかわ達はもうどうしょうもなくなっていた事態に巻き込まれていたと言える。だから流されるような行動も問題とならない。何故なら今更何かを判断した所で喰い喰われる関係は変えられなかったのだから
ただ、それを理由に全てを諦めて良いというわけでもない点を本作は示してくれるね
ハチワレや先生は何度かに亘って、どうすれば良かったのか、何が正しいのかと頭を悩ませる。全てを解決する答えそのものは提示されないけど、代わりにちいかわが示したのが、あの場における正しさ、または間違いではないと信じる判断だったのだろうね
何も罪を糾弾するだけが正しさではない。隠そうとする姿に互いを想い合う心が見えるなら、その意思を尊重するのも一種の正しさだろう
……と、そこで終わっていれば比較的綺麗な物語に成ったかもしれない。けど、本作は後味悪く終わるね
なのに後味の悪さこそ本作の魅力と成っているのだから面白い。綺麗な物語なのに後味が悪いなんて余計な要素が足されたと捉えても可怪しくない。でも、本作の場合はあのラストシーンがある事で気持ちの良い後味の悪さになる。きっとあのカットが無ければそれはそれで気持ちの悪い後味を覚えたのではなかろうか?
だって、鑑賞者の多くはヒトハ・フタバを追い詰めるセイレーンの姿を見たかったろうから。その意味では実際に追い詰める姿は描かないままで、追い詰めるかもしれないという予兆程度に留めたラストは鑑賞者にとって丁度良い気持ち良さの“後味の悪さ”となっているのだろうと思えたよ
そういった部分が本作の魅力なのだと実感できたね
ストーリー部分について、長々と述べてきたけど、本作を鑑賞中に抱いた率直な感想は「可愛くてシュール」という印象が強かったかな
まず以てちいかわもハチワレもうさぎも可愛らしい。それで居ながらハチワレもうさぎもシュールで空気が読めない言動を繰り返すし、他キャラクターに於いてもいわば自分のキャラを前面に押し出した行動に全力投球している。そうした行動はちいかわを困惑させる事もあるのだけど、喋らないちいかわが可愛らしく困る事で不快感を抱かず微笑ましく見守る事ができるね
劇中では我儘を発露しちいかわを露骨に困らせるモモンガすら可愛らしく見えてくるのだから面白い
そうした可愛さは本作において、いわば敵役とも言えるセイレーンにすら見て取れるのは印象的
セイレーンは明確に島民を「喰べた」と言っているし、実際に恐ろしく襲ってくるシーンもあるのだけど、それでも怖さだけに終始しない可愛さを感じてしまう
そもそもセイレーンは悪意に拠って島民を襲っているのではなく、人魚を食べられた哀しさと憤りという真っ当な感情から襲っているからなのかもしれない。セイレーンは悪役などではなく、彼女とて可愛らしいキャラクターなのだ
そう捉えると、逆に騒動の始まりであるヒトハ・フタバの造形に注目してしまうけど、こちらは何処まで意図した形なのかな…と想像してしまったり
本作ではモブを影塗りにしてメインキャラとは一線を画すしているのだけど、ヒトハ・フタバまで影塗り状態なものだから登場当初はモブとの区別が付かなかったよ。でも、話が進めば両者は重要な意味を持ったキャラクターと判るし、表情を出さずに済むキャラクターではないとも判る
それでも二人はモブと同様の見た目をしていて、顔や言葉が描かれる事はない。そこに可愛さを見出すのは難しい
その点は先程の捉え方と合わせて考えると、一般人として振る舞う者の中にこそ、自然を侵食して自然の怒りを買う原因となる原因が混ざっている、なんて深読みも出来るのかもしれない
怖いけど可愛くも思えるセイレーン、モブのようだけどモブでは済まないヒトハ・フタバ。その描き方の差異に何処まで意味があるのか、独特の後味の悪さに浸りつつ考えてみたくなる作品でしたよ
まあ、それ以前にちいかわ達の可愛さに浸っている方が楽しい作品でもあるんだけどね
昨日2回目行ってきた。ボンドロも無事入手。
原作も『ちいかわ』自体も何も知らずに見ました。
とても面白かった!けど、話の内容が衝撃的すぎて驚いた。思ったよりもダークだった。
ハッピーエンドなのかそうでないのか…。バッドエンドっぽい感じもあるけど、まあ知らぬが仏ってことなんでしょうね。
来場者特典第二弾の配布開始日に行ったので子供達も含め人がすごく多かったけど、果たしてあれを子供達が見てどう感じるのだろうか…?
原作履修済みで視聴
順当にクオリティが高い
原作は当時にちょぼちょぼと読んでいました。
悲しい話だなぁ。
どうしたらよかったのかねぇ。。。
と、いう感想を持っていて、
映画の感想が「上映後お通夜状態」などを見るに、だいぶん辛い作りになったのかしら。と思っていたのだけど、それら感想に惹かれて映画を見にいくことにしました。
島のはるか上空からうつされ、物語をはじめるチラシを運ぶ鳥が登場。その後、おなじみちいかわメンバーたちをベンチ(丸太?)の後ろからそっと見守る形で画面が進む。
かわいらしいちいかわメンバーズ、そして、島の人々、葉っぱのふたりが、どんな行動をするのかを見守る時間が続く。
なんじゃそりゃな不思議な、でも納得のいく解決方法が出てきて面白い。うさぎのラップパートはかわいいけれどもややテンション下がった感があった気もする。でも、かわいい。
ラスト、単三の葉っぱふたりが新たな島に行き新生活への希望を感じさせた直後にセイレーンが跳ねて絶望感で映画は終わる。
終始かわいいちいかわたち。
自分はモモンガ好きなので、
問題を次々に引き起こしてくれて、ヤキモキさせられて楽しかったです。カニちゃんがモモンガがみんなを助ける行動をしたと思ったところの喜びの顔がいじらしい。それは勘違いなのだけど。カニちゃんとモモンガがメインの映画も出たらいいなぁー。
原作を知らない状態で観た。なかなかダークな話だった…。
全体的にとてもかわいかったのが救い。うさぎは急にウクレレ弾いたりラップしたり多才だなあw シリアスの合間に気の抜けるセリフがあったのも助かった。
冒頭の船酔いしたちいかわに炭酸を飲ませるところでなぜ炭酸?と少し違和感があったけど、後半の単三電池の伏線だったとは。
キービジュアルの鱗を持ったちいかわの浮かない表情はそういうことだったんだな。真実を誰にも言わずに飲み込むところが見ていて一番辛かったかも。
そしてCパートが悲しすぎる…。二人が島から出て、うんうん二人でひっそり暮らすと良いよ…と思っていたところで画面の端でセイレーンが跳ねて、悲劇への追い込みがすごくて思わず苦笑いしてしまった…w
個人的にはちいかわに暗い悲しい話は求めていないんだけど、ちいかわみたいなポップなキャラクターで描くからこそ際立つみたいなこともありそうで難しい。
どうしたら被害が最小限に抑えられたか、とか、かわいいところ以外にも色々話したくなる作品でした。
ちいかわミリしら勢。
鑑賞後のザワザワ感が止まらない作品。
途中まではほのぼの作品かと思ったら,終盤から最後のエンドロール後までの作りに,何も言えなくなった。
そもそもセイレーンという名前だけで不穏な感じがしてた
(そのセイレーンも最初はかわいくなかったが,徐々にかわいく見えてきて困った)。
「○○を食べると××××の△△△が得られる」シーンの描き方がスゴかった。
そして××××の△△△のギミックに草生えたが「ああ,なるほどな」とも。
映画ドットコムには酷評が散見される。この作品を観て何も思わないのは残念。
これまでの文学史からさらに飛躍した作品を期待しててがっかりしたのか,ふだんから本を読まない生活で子供だましに思えたのかはわからない。
でも,後者だとしたらかわいそうな人生だと思う。
島編既読、原作の間なども含めて丁寧に映像化していてストーリー的な印象は変わらず。セイレーンが荒御魂的なでかつよ存在としてありのまま振る舞っているのに対して、ヒトハフタバは島民を見殺しにしているのが結構その所属員として悪だと思っているのであまり可哀想とは思わない。(別に誰が悪いって話ではないが。)でもちいかわは二人がぎゅっと手を握り合うのを目の当たりにするに至り、全てを理解し、そっとしておいてあげるのだ。やはりここが一番素晴らしいところだと思う。元々ちいかわ達は討伐を正義と思っていない、この二人が犯人だと指摘して、追い出しでもすれば島は平和になるかもしれない。だが二人の味わい続けた恐怖に思いを馳せ、そんなことはできないと、ちいかわは悟ったのだ。ちいかわ世界は残酷に二人を追い詰めるが、ちいかわだけは神聖ですらある赦しを与える。尺は十分取っていたが絵柄的にどうしても芝居が弱くなるところはあったかも。
セイレーンの歌が神秘的で良かった。煮付けのせいで冒頭の子供向けCMすらどこか悪趣味に見えてしまう。
教訓がないとか言うのは酷い戯言で、誰が悪いとかも問うべきではなく、何かを問うとすればちいかわの立場になったとき「言う」のか「言わない」のか、そういうことだろう。
「作品初見」で観ても後悔しないほど、立派に傑作なストーリーだったからこそ、過半数が言葉を喋らないキャラだったし、主要キャラの名前くらいは先に調べてくればよかったと思えた。
曲が有名な作品なのは知っていたが、映画本編も若干ミュージカル調で、歌詞から背景情報を先に考察できるようにもなっていたと思う。
○二郎で二郎ラーメンが出てきたり神砂嵐のような技を使うキャラがいたりと、そういうギャグがある作風だということは、すんなりと理解できた。
上映前の劇場予告編にルックバック出すなよ、今作がそういう作品なのかと思っちゃうだろ。
原作既読
思いのほか芸術点が高い出来で良かった (お歌、うさぎラップは映像含めて良い)
ちいかわ・ハチワレの怯え〜絶望表情が良い (それ以外も良い)
島二郎の脚や後ろ姿が生々しい〜艶めかしい?
子供 (小学生くらい?) には最後の最後のオチは伝わらず “かわいかったね!” って感想になったりするらしい
いい塩梅だ… ちょっと成長してから見直してびっくりするんだろうね
島二郎、原作読んでた記憶よりめちゃくちゃ頼もしい良いやつで笑った